「ミャンマーの自由と平和を求める声明と諸教会への呼びかけ」
ミャンマーで起こった国軍によるクーデターを受けて、日本キリスト教協議会(NCC)が自由を平和を求める呼びかけを公表されました。金沢キリスト教会にも、ミャンマーから学びに来られていた方がつい最近まで集っておられました。この呼びかけに賛同し、共に祈ります。(以下、呼びかけ文)
「ミャンマーの自由と平和を求める声明と諸教会への呼びかけ」
わたしたちは、世界の人々共に、去る2月1日、ミャンマーの国営放送から、ミャンマーに非常事態宣言が発令されたことを知りました。そして、アウン・サン・スー・チー国家顧問やウィン・ミン大統領をはじめとする人々が拘束されたことも聞き及んでいます。
その知らせは、わたしたちを驚かせ、キリスト者として今、ミャンマーの自由と平和のために心から祈らずにおれません。
先の大戦において、1941年12月、日本がイギリスとの宣戦を布告するや12月末には、ビルマ(現在のミャンマー)侵攻作戦が開始されました。この戦争によって、日本が当時のビルマの人々に測り知れない傷跡を残してしまったことを、わたしたちは今も深い悔いの祈りと反省をもって記憶しています。
それゆえにこそ、歴史的な反省に堅く立つわたしたちは、国軍によるクーデターによって文民統制が壊されることは容認することはできず、日本とミャンマーとの和解と平和的友好関係と共に、ミャンマーが自由と人権、そして平和をもって繁栄することを心から祈らずにおれません。
従って、わたしたちは今、ミャンマー国軍が非常事態宣言を解除することを願い求めると共に、以下のような祈りの課題をもって「祈りの輪」を、エキュメニカルに、教派を超えてこの日本の諸教会に広げていくことを呼びかける次第です:
*ミャンマーにおいて非常事態宣言が一日も早く解除されますように
*この度の非常事態宣言下で拘束された人々が一日も早く解放されますように
*ミャンマーの社会が一日も早く自由と平和を回復しますように
*ミャンマーにおけるキリスト教会の宣教と少数民族の人権が守られますように
*現在、日本で暮らす在日ミャンマー人の方々の人権と安全が守られますように
わたしたちは、以上の祈りの課題をもってミャンマーをめぐる「祈りの輪」がこの日本のキリスト教会の間で拡げられていくことを呼びかけます。
2021年2月5日
日本キリスト教協議会 総幹事 金性済
東アジアの和解と平和委員会 委員長 飯塚拓也
『富が祝福であるために』マタイによる福音書6章24節
神に敵対する富(マモン)
より豊かに生きたい、という願いは人類に共通する願いだと思います。その願いは神様も共有しておられます。聖書の中で、人を豊かにする富が与えられることは、たびたび神様からの祝福として語られています。生きる上での苦痛から抜け出し、よりよく生きるための富を神様は与えてくださいます。
それと共に、富について批判的な言葉も聖書の中にはよく見られます。それらの箇所では、貧富の格差や不正との関連で、富や裕福な者が批判されています。富は本来、神様からの祝福でしたが、その富が祝福ではなくなることがあり得ます。
富が祝福であるためには、イエス様の言葉をしっかり受け止めることが必要なのではないかと思います。
「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」(マタイによる福音書6章24節)
イエス様は、神に仕えることと富に仕えることは両立するものではない、と言っておられます。それは二者択一の問題です。ここでの富は「マモン」という特別な言葉が使われています。それは神様に敵対する偶像としての富です。
富(マモン)に支配された人間
富に仕えること――マモンという偶像に支配されること――は、現代社会が直面している深刻な課題なのではないか、と私は思っています。日本を含めた先進国は、この数十年で急速に豊かになりました。けれどもその経済成長の背景では、様々な無理を重ねてきたのではないか、と指摘する人がいます。
日本では多くの人が被雇用者・労働者となって、大きな経済システムの中で働いています。この経済システムは資本の拡張を優先する一方で、労働者の尊厳や心身の健康を後回しにしがちです。ひたすら効率的であることが求められ、過当な競争が強いられる中で、心身ともに消耗し、生命が満たされるような感覚を味わうことは難しくなっています。
また、外の世界に乗り込んでいって、そこにある人間らしい生活を破壊することも繰り返されてきました。貧しい人たちが豊かになることは大切なことですが、そこで先進国の経済の論理だけで労働が持ち込まれ、その社会が守ってきた人間らしい生活や共同体の在り方が無視されてしまうことが起こってきました。
さらには、人間に対する無理だけでなく、自然に対しても無理を強いてきました。限りある資源を制限なく貪りつくし、後戻りのできないような深刻な環境破壊を続け、生き物の生息域を奪うとともに、人間にとっても生きづらい世界へと変えていっています。
環境破壊の一つで、世界中に深刻な影響を与えつつあるものが地球温暖化による気候変動です。気候変動によって、ある地域では洪水や巨大台風の被害が多発し、他の地域では干ばつが進んで水や食料が得られなくなることが懸念されています。住む場所や生きる術を失った人たちが数億人単位で移民や難民となり、生活基盤が揺らぐことで紛争や戦争が起こるリスクも高まると言われています。
世界は豊かになってきたはずでした。ところが経済的に豊かな国々は、人間が生きるための土台となっている地球環境を今も破壊し続けています。それは経済的にも大きな損失を生みます。人間はこの世の富を支配することができると思い込んできましたが、実はマモンという富によって支配されていたのではないか、と私には思えます。
神に仕える
経済成長の背景にあった様々な無理は、どれもが神様に仕えることとは両立されないものです。神様は私たち人間が、この世界で豊かに生きることができるように、祝福された富を備えてくださいました。神様は私たち一人ひとりのことを、その髪の毛までも一本残らず数えるほどに覚えてくださり、その富を与えてくださいます。さらには、私たち人間がこの世界でその富を分かち合い、共に豊かになることができるような社会をつくるために、律法を与えて道を示してくださいました。
このような神様を愛し、仕えるならば、私たちは自分を大切にしますし、隣り人を同じように大切にします。グローバル化した世界にあっては、隣り人は身の回りの人だけでなく、遠く離れた地に住む人をも含むでしょう。そうであれば、環境を守り、人の生きるための土台を壊さない方向へと向かっていくはずです。
神様とマモンの富との二者択一は、財産を放棄するということではありませんし、経済活動に無関心になるということでもありません。むしろそれは神様の想いを知り、それに応えていくために、積極的に財産や経済活動についても考え、共に豊かに生きることができる社会を作り出していくことなのでしょう。
新しい人と社会を生み出す神の愛
ヨハネの手紙Ⅰ・3章16~18節では、富に関する神様の想いがこのように述べられています。
「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。世の富を持ちながら、兄弟が必要な物に事欠くのを見て同情しない者があれば、どうして神の愛がそのような者の内にとどまるでしょう。子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。」
イエス様は十字架の出来事を通して、神様の愛を具体的に現わしてくださいました。その愛とは、ご自身の全てを与える、というものです。神様は私たちのために、ご自身を差し出すほどに、私たちを愛してくださいました。それは天地創造の時から変わることのない神様の愛でしたが、イエス様はその愛が決して変わることがないこと、その愛が私たちに向けられていることを示してくださったのです。
ご自身を与える神様の愛は、私たちの心に新たな愛を生み出します。それは、隣り人のために自分を与える、という愛です。神様の愛への感謝の中で、私たちの心は満たされ、貪欲さから解放され、互いに与える喜びが生まれてきます。それによって、富を分かち合う新しい社会を作り出していく。それが神を愛し、神に仕えるという新しい生き方です。
イエス様は新しい社会の姿を示しておられます。神様の愛は、そこに至る希望を私たちに与え、私たちをそこに向けて押し出します。この一年、コロナウイルスによって大きな変化が起こりましたが、私たちの目指すべきアフター・コロナの世界は、元の世界ではないのかもしれません。神様はもっと大きなことを計画しておられる。私たちが、また世界中の人々が富に仕えて奪い続けるのではなく、神様に仕えて――神様の愛に応えて――愛し合うことへと導こうとしておられます。
それは、神様が与えてくださる富が祝福であるために必要なことです。私たちの生命が満たされ、互いに平和に生きることができる。この世の豊かさを心から味わうことができ、共に生きる喜びを感じることができる。そんな新しい社会の在り方を私たちも祈り求め、神様の愛の素晴らしさを証していきたいと思います。
『協力を惜しまない』使徒言行録11章19~30節
協力伝道を行ってきた金沢教会
本日から来週までの期間を、日本バプテスト連盟では「協力伝道週間」として定めています。そうはいっても、「連盟」がどのようなものか、よくわからないと思われるかもしれません。「協力伝道」がどのようなものかわからなないので祈りようがない、と思われるかもしれません。
金沢教会は協力伝道を体感することができる教会です。協力伝道によって支えられることがなければ、今のような金沢教会はおそらく存在しないからです。
協力伝道に関わる金沢教会の歴史を少しだけ振り返ってみましょう。金沢教会は、1953年に京都教会の伝道所として、連盟の祈りと支援の中で生み出されました。その当時からF・C・パーカー宣教師ご夫妻が伝道の働きを担ってくださり、1964年にはM・J・ランドル宣教師にその働きが受け継がれていきました。
連盟の繋がりの中で、初代牧師として宮地先生が金沢に遣わされ、その後、石堂牧師、瀬戸牧師を招聘してきました。瀬戸牧師の辞任後は、当時、連盟の宣教室長であった安藤先生が臨時牧師として教会を支えてくださいました。その後、宮本牧師、田代牧師を招聘しましたが、1995年に無牧師となったときには、連盟の常務理事であった内藤先生が教会の牧会と幼稚園園長を担ってくださいました。
1996年からは、田口先生が連盟の国内宣教師として金沢教会に派遣されました。「国内宣教師」というのは、後にも先にもこの一件だけであり、2007年まで人的にも経済的にも協力伝道によって支えられました。金沢教会では、2007年から田口先生を改めて牧師として招聘し、昨年まで牧師としての働きを担っていただきました。
2011年にはテイル&デイナ・ハッカベイ宣教師ご夫妻を、翌年にはカイル&ジニー・ハッカベイ宣教師ご夫妻をそれぞれ短期宣教師としてお迎えしました。2013年から3年間は、連盟の全国拠点・地域協働プロジェクトでの支援を受けて、カーソン&ローラ・フーシー宣教師ご夫妻を迎え入れることができました。
牧師の招聘も、宣教師の派遣も、協力伝道の関係があってこそ実現できたことです。その他にも、特伝の講師や伝道隊としてお迎えした方々を挙げればきりがないほどに、多くの方を送っていただきました。会堂建築の際には、全国からの献金もいただきました。連盟の事務所は遠く埼玉にありますが、協力伝道は、金沢教会の歴史の中で具体的に行われてきたことでした。
その一方で、金沢教会も協力伝道に励んできました。全国的な集会に参加することもありましたし、牧師を特伝の講師として派遣したり、神学生を派遣したりしてきました。また、田口先生を理事として2年、理事長として計6年、派遣してきたことも大きな働きであったでしょう。その間、田口先生もお忙しかったと思いますが、それを支え、共に歩んだ教会・役員会も、一緒に協力伝道に励んできた、と言えるでしょう。そして、協力伝道のための献金も、本当に精一杯、ささげてきました。
このように、金沢教会は、まさに協力伝道を行ってきた教会なのです。
人を送り、養い育てる
「協力伝道」という言葉は聖書にはありませんが、教会間の協力ということは、使徒言行録の中にも見つけることができます。今日、お読みした個所は、アンティオキア教会とエルサレム教会の間でなされた協力伝道だと言うこともできるでしょう。
エルサレムで起こった事件と迫害をきっかけとして、各地に散らされていった人たちが、それぞれの町でイエス様の福音を伝えました。その人たちは特別な訓練を受けた宣教師ではありませんでしたが、自分がいる場所で、自分の言葉で、福音を宣べ伝えていきました。
すると、アンティオキアでたくさんの人がイエス様を主と信じるようになりました。それは福音を伝えた人たちが優れていたからではなく、「主がこの人々を助けられた」からです(11:21)。福音は、パウロのように聖書に名前が残された人だけが伝えたのではありません。名前も知られていないたくさんの人たちが、イエス様のことを伝えていきました。その人たちがいて、その人たちを神様が助けてくださったので、あちらこちらで福音が伝えられていったのです。
けれども、そのままでは教会として一つの群れにはなれなかったかもしれません。そこにバルナバが派遣されました。彼は「立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていた」(11:24)と言われています。迫害に晒されていたエルサレム教会が、このような大切な働き人をアンティオキア教会へと送り出したのです。
バルナバはアンティオキアで起こっていることを見て喜びました。そして、タルソスという町からサウロ――後にパウロと呼ばれる人――を連れてきて、丸一年間、アンティオキアの教会で多くの人たちを教えました。タルソスはサウロの出身地でしたが、彼はそこに留まるのではなく、新たなところでの使命に応えたのです。
アンティオキアの人たちは、バルバナやサウロが来る前に、イエス様を主と信じていました。けれども、この世の中でキリスト者として生きていくためには、時間をかけながら、また周りのサポートを受けながら、養い育てられる、ということも必要です。なぜなら、キリスト者として生きること――イエス様に従っていくことは、この世での常識や慣習に反することだからです。
私たちは、イエス様のことを知り、イエス様に従い続けるために、信仰を論じ合い、学び合うことが必要です。時には他の教会から人を招いたり、あるいは『聖書教育』誌や『バプテスト』誌、『世の光』誌などを読んだりしながら、教えられ、導かれることが必要です。
エルサレムの教会は、アンティオキアの教会のために、大切な働き人を送り出しました。それも順風満帆で、余裕のあるときにではなく、まだ教会として誕生したばかりで、迫害を受けている中で、他の教会のために派遣をしたのです。それによってアンティオキアの教会は、バルナバと彼が連れてきたサウロによって教えられ、養い育てられました。これはまさに協力伝道でした。
精一杯をささげる
エルサレム教会とアンティオキア教会、あるいは他の教会との間に、この後も人的な交流があったのかどうかは、よくわかりません。ただ、アンティオキア教会は、エルサレム教会から支援を受けるばかりではなかったことが記されています。
世界中――当時のローマ帝国内――で大飢饉が起こった時、エルサレムを含むユダヤに住む人たちが困窮したことがありました。そのときに、アンティオキア教会の人たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤの教会の人たちに援助の品を送りました。その送り物を携えていったのは、バルナバとサウロでした。
二人がアンティオキアにいたのは丸一年間だけでした。もともとそのつもりだったのかもしれませんし、教会の様子を見て、一年で十分だと判断したのかもしれません。あるいはもしかしたら、この援助の品を送るために、一年でその働きを切り上げたのかもしれません。
アンティオキア教会の人たちは、「それぞれの力に応じて」援助をしましたが、それは精一杯のものをささげた、ということでしょう。その支援と共に、アンティオキア教会は重要な働き手であったバルナバとパウロを送り出したのです。
それは見方によれば、アンティオキア教会にとって大きな損失であるということもできるかもしれません。経済的にも、また人的にも、大きな決断が必要だったでしょう。しかし聖書は、それがまるで当然のことであるかのように、この出来事を伝えています。
これからも協力伝道!
使徒言行録を読んでいると、教会が色んなものを分かち合うということは、当たり前のことだったのだと気づかされます。人の働きも分かち合われますし、献金や援助という形でも持っているものが分かち合われます。それぞれの教会は、自分たちだけの思いで進み、自分たちだけのことを考え、自分たちの仲間だけを支える、というような、孤立した教会ではありませんでした。今よりも遠く離れていて、互いの様子が伝わりづらかった状況の中でも、互いに結び合わされて、協力を惜しまない繋がりがあったのです。
現在、連盟は機構改革に取り組んでいます。それによって組織としての形を変えることだけでなく、協力伝道の在り方も変わっていくことが予想されます。以前のように、事務所にお金と人を集めて、そこが全国の諸教会を支援する、という形は終わり、それぞれの教会が主体的に協力していく形へと変わっていきます。
金沢教会は協力伝道によって支えられてきました。そこから励ましを受け、学ぶことができてきました。形は変わっても、私たちは協力を惜しまない教会であり続けましょう。私たちの力に応じて、無理せず、でも楽もせず、主が連盟諸教会を助けてくださり、その間でなされる協力伝道を用いて、喜ばしい実りをもたらしてくださることに期待しながら、これからも協力伝道に励んでいきましょう。