恵みに満たされて

金沢市の教会の牧師のブログ

隔てを越えて、新たな連帯へ

昨年、新型コロナウイルスパンデミックを受けて、世界教会協議会(WCC)と教皇庁諸宗教対話評議会(PCID/カトリック)が『諸宗教の連帯による傷ついた世界への奉仕』という共同文書を作成しました。その目的について、この文書の中で次のように述べられています。

「イエスは、仕えられるためではなく仕えるために来られました(マタイ20:28)。善いサマリア人の愛と寛大さに倣って、弱い人、弱い立場に置かれた人を支え、苦しむ人を慰め、痛みと苦しみを和らげ、すべての人の尊厳を確保するよう努めましょう。心を広げて対話し、手を広げて連帯し、癒やしと希望に満ちた世界をともに築くことができますように。」

この中で、パンデミックは世界的な危機である一方で、「富む者と貧しい者、特権を持つ者とそうでない者との、残酷なまでの格差を再確認」させていると訴えられています。人種差別はさらにひどくなり、不平等や排他主義、差別や支配のシステムによって暴力は増加しています。社会の中でこれまでも周縁に追いやられていた人々が、このパンデミックの影響を最も受けています。また、この危機は気候変動と生物多様性を脅かす危機とも関連しています。このような事態の中で、私たちはパウロと同じ告白をすることができるでしょう。「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。」(ローマの信徒への手紙8章22節)

人と人、人と被造物の間にあった隔ての壁を越えて、うめきが聞こえてくることは、現在の危機を現しますが、壁を超えて聞こえるからこそ、新たな連帯の可能性も見出すことができます。そもそも、そのような隔ての壁が何のために作られてきたのか、ということも、問い直すチャンスでしょう。これまでにはなかったような連帯や助け合いが、色んなところで生まれています。私たちは――人と人も、人と他の被造物も――様々な関係の中で生かされているのであって、必要なことは「自己責任」や「自助」の強調ではなくて、共に生きていく方法を模索していくことでしょう。

主イエスは隔ての壁を超える方でした。主イエスが指し示し、約束された神の国は、「正義と平和によって一つに結ばれた世界」です。どのような困難にあっても、主イエスはそこに向けて今も歩み続けておられ、必ずや世界を導かれます。教会はそこに希望があることを宣べ伝えるのです。

※『諸宗教の連帯による傷ついた世界への奉仕』はこちら